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07彗霊神社

街の高台に位置する古い神社。常駐の管理者は居らず、自治体の下で維持されている。祭事等の行事は無く、大きな人の出入りは自治体による定期的なメンテナンス時くらいである。

長い石段を上がり鳥居を潜ると池が目に入る。池の畔に平べったく円い石(直径1メートル半、厚さ30センチ程)があり、石を六角に囲む6本の木杭にしめ縄が掛けられ祀ってある。石の奥に木造の古めかしい拝殿がある。全体を雑木林に囲まれ、昼でも暗くうすら寂しい印象がある。

a.図書館
風土史等に彗霊神社の成り立ちを見ることが出来る。

・歴史
神代の昔、空よりこの地に飛来した者が居た。一つ目の巨神で、その大きな一眼で世の中を見通し、天変地異を予測し災厄から土地の民を守った。巨神は降り立つ際に太陽にその身を焦がし、日に耐えられない体であったので、闇夜が活動の時間であった。その為、夜目の利く者達が巨神に奉仕した。
神社は巨神が降りた場所であり、池はその名残である。畔の石は「彗霊石(すいれいせき)」と言い、巨神の慧眼を見立て祀ったものである。巨神の名は伝わっていない。
巨神に奉仕した一族が神社を建て、神事を司り、この地の民を支配したが、やがて悪政を敷くようになり決起した領民によって領主の座を追いやられた。以降、巨神に対する信仰は廃れていった。

なお、巨神に奉仕した一族に関しては十字組の項目も参照。

b.聞き込み
地方紙や近隣住民から得られる情報。

・13年前の事故
銀門鈴子の他に、神社では過去に死人が出ている。13年前、当時7歳の少女「田中礼子(たなか・れいこ)」が、頭部から血を流し死んでいるのを、清掃に来た自治体の係が見つけた。ふざけて彗霊石に上がり、足を滑らせて頭部を強打したものと推察される。当時神社は子供達の遊び場になっていたが、事故以降、周囲の小学校や幼稚園では神社への進入を禁止する指導が徹底された。

田中礼子の家族は13年前に街を離れており足取りを掴むことは出来ないが、家族が住んでいた場所で聞き込みをすれば、少女の家族が多額の金を受け取った噂を耳にする。葬儀に際してヤクザ者らしき風体の輩が来ていたことから、引越しのきなくさい理由といった趣きで話される。
by nurunuruhotep | 2012-03-12 15:27 | マスカレイド | Comments(0)