2.矢立幸一郎の経歴

地元新潟の中学校を卒業後、上京し、25歳まで商社に勤める。1918年4月、父親の死後、新潟に戻り遺産を相続。その資金を元に紡績会社を設立。海外の繊維製品の輸入など幅広く手掛け、事業は成功する。
1923年6月、30歳で直営工場で働く娘と結婚。1925年9月、再び上京し、東京に住まいを構える。しかし、それから間もなく先物買いに手を出し、失敗。会社の倒産、新潟の工場も閉鎖。財産を全て失う。

矢立の会社の元従業員や取引先、新聞記事などから次の情報を得れる。

・先物買い
事業が失敗する原因となった先物買いを矢立に手引きしたのは「室岡芳輝(むろおかよしてる)」という男。矢立が商社時代から付き合いのあった人物で、貿易会社を経営している。
室岡は、実はたちの悪いヤマ師で、ヤクザまがいなことをしているという噂がある。

・矢立の妻
矢立の妻の名前は、「静子(しずこ)」といい、色白の美しい女性で、工場労働出身とは思えない気品を備えていた。矢立は静子に相当入れ込んでいたようで、日夜傍に置き常に連れ立って行動していた。また、矢立の身の回りの世話は全て静子がしていた。
矢立の事業失敗後、静子の消息は不明。また、正式な婚姻届は出しておらず、彼女の旧姓や出身はわからない(元使用人の誰も知らない)。

・怪死事件
1925年10月3日、東京の矢立の屋敷(高輪台)で死人が出た。庭先で仰向けに倒れている男を近所に住む婦人が見付けた。男は手を縮こめ、恐ろしい形相で事切れていたという。
男は、抜け縄の長一こと「市村長一(いちむらちょういち)」、連続押し入り強盗として指名手配されていた人物で、屋敷に盗みに入ろうとしていたと思われる。
抜け縄の長一の詳しい死因は不明。肩にかすり傷程度のものがあったが致命傷ではなく、解剖の結果、体内から毒物の類は検出されなかった。便宜上、心不全として処理されている。
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by nurunuruhotep | 2008-11-02 22:17 | パンの大神 | Comments(0)