7.蛇の社

柳波喜理の話にあった社についての情報。

◎逸話
津川学院の生徒や学校近隣の住人から聞ける話。

社は元々、さる富豪の邸宅があった敷地内にあった。社自体はずっと昔からあったものだが、そこに明治の初期ごろ、屋敷が建てられた。

ある日、屋敷の使用人が社から出てきた一匹の蛇を殺してしまう。それから間もなく屋敷中の者が病気になって次々と死んでしまい、それが原因で富豪の家は没落した。

邸宅は取り壊されたが、離れが社の傍にまだ残っており、そこは蛇屋敷と呼ばれ、屋敷で死んだ者の幽霊が出るという…。

この話について図書館や役所などで詳しく調べれば、確かに明治期に先物取引で一財を成した富豪の邸宅があり、また、富豪一家が原因不明の死を遂げていることがわかる。


◎社の起源
津川町の風土記から、社について次のことがわかる。

社は蛇を祭ったもので、日本各地にある蛇神信仰と同種のもの。蛇に対する信仰はヤマタノオロチなどの逸話にも見られる通り太古より存在し、津川町でも古くから存在したらしい。

・ピラミッド
また、津川学院大学の教授、海士真純が自身の著書の中でこう述べている。

社のある小山全体が蛇神信仰における祭事場で、ピラミッドの形状をとった遺跡である。

実際に、日本の自然の山と思われているものの中に人工のピラミッド的な建造物があるという説が存在する(<考古学>)。古墳や民俗学における信仰の対象とされる「山」がピラミッド的な意味合いを持つとも言われている。

海士は、こういった日本ピラミッドの多くが(津川学院近くの小山も含め)、マヤ・アステカの遺跡に見られるものと同じような特徴を持つと持論を展開している。特に日本の蛇神信仰とケツァルコアトル信仰の類似点を指摘している。
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by nurunuruhotep | 2008-10-18 17:09 | HIZUMI | Comments(0)