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4.結城敏夫

結城敏夫は息子「結城信明(ゆうきのぶあき)」家族と同居していた。自宅は事務所(息子が継いでいる)を兼ねている。現在、結城家は葬儀を終えたばかりで喪に服している。

以下、息子や家人の知る情報。

①生前の様子
結城敏夫は3日前(探索開始から)に病院で息を引き取った。1週間前より体調を崩し、入院。免疫力の低下から肺炎を発症し帰らぬ人となった。享年71歳。

結城は退職後、自然の景色をスケッチすることを趣味としていた。特にここ一ヶ月は街の郊外の自然公園に出掛けていた。かなり熱心な様子で、体を気遣う家族の言葉にも耳を貸さず夢中になっていた(家族はこれが病気になった原因と思っている)。

・味覚
結城は食事に関しておかしなことを言うことは無かった。

②スケッチブック
結城が入院する前に持ち歩いていたスケッチブックには草原や木々、見下ろした街並みなどの景観が描かれている。
<アイデア>でそれらが同じ場所で描かれていること、<ナビゲート>でこの街の郊外の高台にある自然公園の一角であることに気が付く。

③時計
結城の腕時計が故障していた。デジタル時計。長年使っていたものなので、経年劣化だと息子は思っている。外出の際、いつも身に付けていた(入院前もしていた)。

④過去
結城は遠方(任意)の出身。大学時代に親の反対を押し切り、当時交際していた妻とかけおち同然にこの街に来た。芸術大学で絵画を専攻していたが、生活の為に絵の道を捨て土建業の現場仕事を中心に働く。その後、資金と経験、人脈を元に重機のリース会社を起こした。

・先立たれた妻
結城の妻「結城登紀子(ゆうきときこ)」は十年前に他界している。死因は末期の胃癌。

登紀子の葬儀の際、結城が「彼女にもう一度、あの薔薇を見せてやりたかった」と酷く嘆いていた。登紀子の実家は地元の名家で、庭園に美しい薔薇が咲いていたという。
それまでの経緯から実家とは絶縁状態で、帰省したことは無かった。また、葬儀に際して連絡したところ、この時には登紀子が暮らした邸宅はマンションとなっていて、既に薔薇園が無いことを知った(結城の後悔に拍車を掛けた)。


◎病院
結城の担当医や病院のスタッフが知る情報。

①死因
結城の死因は肺炎による呼吸不全である。肺炎は風邪から悪化した。
入院当初より結城の免疫力はかなり低下していた。検査の数値的には、年齢を鑑みて体に無理をすると起こり得る範囲ではあるので、日々の生活に起因するものと医者は判断している(息子から頻繁に外出していたことを聞いている)。

②味覚
結城は入院当初は普通に食事を取っており、病院食の味に関しておかしなことを言ってはいない。検査では味覚障害等は見られなかった。
by nurunuruhotep | 2013-02-28 20:48 | Black Coffee | Comments(0)